うる星やつら伝言板

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うる星やつらについて、深く掘り下げて議論などを行う伝言板です。
深く、熱く語りたい場合などにご利用ください。
単なる質問や挨拶などのトピックを作成するのはご遠慮ください。(削除対象となります)

伝言板の復旧が完了しました。 (2015/06/23 22:30)

あなたの世界観
No.149-TOPIC - 2003/03/15 (土) 22:17:35 - DDDD
この掲示板に、何回か来ているうちに、みなさんのうる星やつらにもっている、イメージというか世界観がそれぞれ異なっているようです。
BDのところで世界観が壊れたという人がいるときいて、痛感しました。
俺は原作派なので、このような世界観をもってます。 なんでもありの設定の中で、繰り広げられる、大胆にうごきつつ、人間らしさを極端にだしたギャグ。これが俺のうる星やつらの世界観です。よーするに壊れているのにまとまっている(簡単になってないな)
みなさんはどういう世界観をお持ちですか? 
 
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世界観 引用
No.149-37 - 2012/03/05 (月) 15:12:23 - hk ID:.4e1RTfY
原作後半(最初らへんじゃないということ)とアニメの虚無感、SF感です。

このトピは殆ど一人のものになってるようだけど‥別日の数学の試験での生徒の循環論法を指摘する先生みたい。
アニメ、映画はおっしゃる通りつくる人が変わってるんだし、整合性にこだわりすぎなくても‥と思います。

あと話の土台がしっかりしてない(根拠がない)と演繹が意味を成さない

初期ラム派の世界観 引用
No.149-36 - 2011/09/03 (土) 21:00:27 - バカルディ ID:3lebbxQQ
初期の気が強いラムのファンにとっては、TVアニメ1話〜34話と完結編だけをうる星やつらのオリジナル・ストーリーと考えたほうがすっきりするかも。
後はファン・サービスの番外編。
まあ後のほうでも君去り後とか牛になるとか欠かせない話もあるけど・・・

続・私の世界観(16)ときめきの完結篇 引用
No.149-35 - 2004/12/18 (土) 08:39:14 - よしーま ID:yoSZLe2g
TVシリーズを後ろから遡って、
217話の「君去りし後」が第1話と考えた場合;
あたるの胸ポケットのラム人形は、モノとしてのラム=作品世界=うる星やつらのグッズの象徴。
うる星やつらは、もう20年前の作品です。
未だに、うる星グッズを持っている「あたる」のところへ、「ラム」が帰ってきたという夢の始まり。
この話の拡大版がLTF。

「ときめきの聖夜」が最終話と考えた場合;
(見かけ上ですが)普通の女の子になったラムの手を引いてホワイト・クリスマス・イブの友引町を歩く
「あたる」の夢。その先は夢の始まり。つまり、”一線(夢と現実の境界線)をこえる”ということ。
「ときめきの聖夜」が最終話だったらそれはそれは幸せな話。
ここで、はじめて、あたるの方からラムの手を握ったのです。この話の拡大版がOY。

うる星映画はみんな最終話の様相を呈しています。そのなかでOYが一番分かりやすい。
この映画で、二人は晴れて結婚式を挙げているではないか・・・といっても、あたるが逃げ出すというオチがついてしまったが。

結論:
TVうる星のあたるとラムの方が、大人の夫婦に見えます。(特に130話ラストシーンの会話)だからこちらの方が魅力的。
TV最終話なんかもう「ごちそうさま」状態でしょう。これ以上何を求める必要があるのかね?
私はTVシリーズとLTFまでの4つの映画で、十分。満足しています。

一年近くこの掲示板で書きたい放題書いたのですが、
つくづく思うのは、この「うる星やつら」という作品は、自分でいろいろ考えながら、いろんな見方を発見出来て面白いなと
思います。私はこの作品は「鏡」だと思っています。自分を映す鏡。RMLなんか鏡・鏡・鏡のオンパレードです。
自分がどういう美意識をもっているか、どんな世界観を好むのか、作品の方が教えてくれます。
作品自体は変化しませんが、「観ている人」は刻一刻変化しています。だから、10年後に見たらまた違って見えていることでしょう。

私も、この辺で”地上”に帰ろうと思います。このような発表の機会を提供してくれたここの管理人さんに感謝!
でも、”あの人たち”と付き合うのは並大抵のことではおまへんでぇ。”あの人たち”っていうのは
「あたるとラムちゃん」以外の誰かも指していたりする。

「行こか・・・」

(了)

↓続・私の世界観 (15)うる星やつらを悪夢にしないために 引用
No.149-34 - 2004/12/18 (土) 08:35:59 - よしーま ID:yoSZLe2g

(無題) 引用
No.149-33 - 2004/12/18 (土) 08:33:58 - よしーま ID:yoSZLe2g

ダスティン・ホフマン主演の「ヒーロー・靴をなくした天使」という映画があります。
ここで、「世の中は嘘だらけなんだ」という台詞があります。
「だからお前は好きな嘘を選んで、それを信じればいい。」

これは真理です。実際この世の中は、嘘が多い。マスコミ報道は特に。
そういえば、第一話で、しのぶはマスコミ陣の「おお!諸星くん、ラムちゃんと結婚するんですか」という
台詞を真に受けましたね。それは「誤報」なんですが、しのぶは身を引いてしまった。
世の中の情報群や、世間で言われていること、通俗などを、一々全部本当だと信じていると、何が正しいのか
わからなくなって、惑うことばかりになります。
大事なことは、自分で情報を”選ぶ”こと。そして、選んだ”真実”を信じることではないでしょうか。

これをうる星風に意訳しました。

うる星やつらは同人だらけ。全部正規品だとすると、原作派にとってのすべてのアニメ、特にBD。
押井派にとってのRML、LTF、TV最終回。やまざき派にとっての完結篇。
出崎派や原作派にとっての「ときめきの聖夜」「いつだってマイダーリン」に、傷ついてしまう。

うる星やつらは、途中から、ファンに同人誌・同人アニメを見せられたと同等のイメージクラッシュを
与えてしまう。

あなたの好きなその作品、他の人には、同人誌に見えている。

ひょっとしたら、うる星やつらは全部同人誌かもしれない。オリジナルの同人誌。
もちろん、正規品でもある訳だ。温泉マークかカクガリか。
それを「夢と現実」と言い換えて、うる星の本質をえぐって問題提起したのが、「ビューティフル・ドリーマー」ではなかったか。
あの夢を食い尽くすバクのお尻の(C)マークの隣には、誰の名前を書き入れるか。

同人というのは、パロディーということ。確かにパロディーはうる星の十八番ではありますが。

だから自分の好きな同人誌を選んで、それを正規品と信じればいい。
あたるは「ビューティフル・ドリーマー」で、ラムは「異次元空間・ダーリンはどこだっちゃ」で、
自分自身の判断で、本物のラム(あたる)を特定して、その人を信じました。
だから、あたるは「それは夢だよ」と言ってラムとキスしようとしたのだし、
ラムはあたるの腕にしがみついて甘え、「嫌がんないっちゃ・・・」と一瞬”疑念”が湧きますが、
「ま、いーか」と深追いしない。結局信じるしかないということ。どれも(正規品/同人誌)だから。

ある人は、「アニメのすべてが金のかかった同人誌」と断じている。
(TOPIC No155「アニメ『うる星やつら』は、『うる星やつら』と言えるのか」より。)
だったら、観ないことです。Keyさんとやら。「同人誌」と判っているのにわざわざ観て、
憤激しているのはいかがなものかな?

>今後『うる星やつら』について何らかの質問があった時、その答えは原作にしかないと私は思います。
(同トピックでのkeyさんの意見)

私は、答えは「自分の中」にあると思うほうです。
とりあえず、線引きでしょう。ただ、線引きするとき、どうしてそこで線を引くのかというリクツを持たないと。そのリクツこそが、その人の世界観です。

続・私の世界観(14)うる星は体感ゲーム 引用
No.149-32 - 2004/12/18 (土) 08:27:25 - よしーま ID:yoSZLe2g
私が完結篇を観るのを控えている理由の一つに、
やまざき派のメンタリティーが吹き飛んでしまうのではないかと危惧していることが挙げられます。
やまざき版うる星は、「一度忘れたことを何かのきっかけでフッと思い出す」という記憶の作用を利用して作られています。
それなのに、「忘れるもんかーーーー!!!」をあたるの肉声で聞いたら、
RML、LTFを憎悪する人間になってしまうのではないかと危惧しているのです。
実際、完結篇支持の人は、やまざき版に対してあまり良い評価をしていないようです。
RMLの「あたるが、ラムのことを忘れるという展開が許せん!!」という人。それは完結篇を見たからそういう見解に
なったのでしょ?
では訊くが、RML否定なら、赤い糸も否定するのけ?

仮に完結篇に感動しても、「いつだってマイダーリン」がテグスネ引いて待っているし。なんだか、板挟みみたいになりそうで怖い。

ひょっとしたら、脚本家の金春智子さんにとって、あたるとラムを結ぶ赤い糸が「完結篇」で、
あたるの右手にあった無数の赤い糸が「いつだってマイダーリン」のつもりなのかしら。深読みさせてもらうとすれば。
「情けないっちゃーーー!!」とあたるに電撃をかましたラムの気持ちを観客に体感させるということ。

やはりうる星は体感ゲームか。まるで押井映画「アヴァロン」。
BDの後のうる星は、体感ゲームであるという見方は、すでに書きました。

となるとTVうる星最終話のキスシーンは、ラムちゃん萌えしてあたるが羨ましい〜〜と息巻いている全国の「生メガネ」たちに、
「ときめきの聖夜」を体感させる試みだったのかもしれません。あのときもメガネはあたラムキスを目撃して白髪化。
まさか、最終話のTVの前で実際に白髪化してたんじゃないだろうね。
「生メガネ」の皆さん。

今はネット上でうる星の同人作品が閲覧できてしまう時代。これは因幡篇の体感ゲーム。
ネット上で活躍する「運命製造管理局員」たちが作る、未来のうる星世界を垣間見るということです。

続・私の世界観(13)それでも完結篇を考慮にいれたいなら・・・・ 引用
No.149-31 - 2004/12/18 (土) 08:23:50 - よしーま ID:yoSZLe2g
「ときめきの聖夜」と「完結篇」は、好きというコトバについてコンフリクトします。

「ときめきの聖夜」は、完結篇よりずっと前に発表された作品です。
好きって言っちゃってるものはしょうがない。

もし、全作品の並び替えが許されるなら、そしてTVの二人と完結篇のラストの二人が同一人物としたいなら、
第19話以後のTVシリーズは、”2度目の鬼ごっこ”のずっと後の世界で、結局あたるは、ラムに「好き」と言ってしまい、
それからさらに長い年月が経った世界・・・と考えたらどうか。
「いまわの際に言ってやる」とは言ったが、「好き」という言葉で命を落とす人はいません。

「あの頃、あんなケンカしてたんだよな〜〜」「だっちゃね〜〜、ダーリンv『忘れるもんか〜〜』だって??うふっ」
「言うな」
という会話をするぐらいに成熟した2人の世界が、TVシリーズうる星やつら。
夫婦ゲンカなんか、仲直りしたらそれまでですからね。

完結篇を支持するなら、上記のように考えて、「いつだってマイダーリン」を避け、
TVうる星を鑑賞するしかないではないか・・・ダメ?

続・私の世界観 (12)最終話のイマジネーション 引用
No.149-30 - 2004/12/18 (土) 08:21:09 - よしーま ID:yoSZLe2g
「君去りし後」は、あたるが、自分はラムがいないとどうにもならないことを身にしみて自覚した話。そして、
ラムが、自分には表面的にはどんなに冷たくても、本当はダーリンはうちがいないとダメなんだっちゃ・・・と理解した話です。
「君去りし後」がTV217話として再放送されたことを、私は重視します。最終話のキスシーンの伏線に出来そうだからです。
ラムが唇を許した理由、あたるが応じた理由は、「君去りし後」の直後だから・・・と考えたらどうだろう。
(もっとも、キスなら「ときめきの聖夜」で経験済みですが。)

他の女なら、不意に抱きついたり、キスしようとしたりするのに、ラムに対してだけは、簡単に
そうしない。最終回のあのシーンでは、なぜか緊張している。あたるらしくない(笑)。
それだけ彼にとって、ラムが特別な存在になっているのに違いない。

二人が天の岩戸に閉じ込められたシーンでは、「暗闇の中で光るラム」が表現されています。
私は、これを「ラムは闇にはとらわれない」という暗示と受け止めています。
暗示というのは、先に心の中に入ったほうが効力が強いものです。
リアルタイム当時、私はサンデーで「ボーイミーツガール」を読まされる前に、TVの最終話を観てました。
「ボーイミーツガール」には「ラムが闇にとらわれる」という暗示がありますが、
私はその暗示の影響を受けなかった。だから、「ボーイミーツガール」に対して、なんかおかしいな・・・と
思うようになってしまった。

「ラムが闇にとらえられる」という暗示は本当だろうか?
「ボーイミーツガール」では、ルパの曾祖父が、ラムのことを「光の国」の女の子といいました。
「光の国」とは、自分で発光しているTVアニメ版うる星のことだと解釈できそうです。
TVというのは、漫画と違って自分で光っています。真っ暗な部屋では漫画は読めないが、TVは観ること
が出来ます。
TV最終話の光るラムは「TVうる星」の象徴として表現されていると考えます
(LTFでも、「輝くTVの中のラム」「鬼姫の聖なる光」が表現されていました。)
そこに光があれば、闇は闇ではなくなります。闇が光を消すことはできない。
真っ暗な部屋でもTVをつけたら、部屋は少し明るくなります。TVは闇にとらわれたりしません。
あたるが真っ暗な天の岩戸でラムとキスできたのは、光があったからです。
ラムが闇にとらわれたら、もうその女の子は「TVのラム」ではありません。私はそう考えています。

さらにキスシーン。これは「行為で愛を誓う姿勢」です。
このシーンは「ボーイミーツガール」のラストと異なる点です。
あれは「言葉で愛を誓う姿勢」(「一生かけて〜」「いまわの際〜」)。
私はどちらかというと言葉よりもキスの方が重みを感じる方です。だから、TV最終話の方が好み。
この二人のキスは100万トンの重みがあります。
ラムが「誰も見ていないっちゃ」と言ったのは、BDのラストであたるが拒んだことを憶えているからです。

「♪愛が見えたなら唇あずけたい」(「ロック・ザ・プラネット」より)
「俺たちの青春は言葉なんかじゃない」(RMLのメガネの台詞より)

続・私の世界観(11)BDを観ている人 引用
No.149-29 - 2004/12/18 (土) 08:18:28 - よしーま ID:yoSZLe2g
>「BDのラストで、友引高校のチャイムが鳴り続けていましたが、あれは、やまざきうる星という、現実という映画
(=夢)がまもなく上映開始することを告げています。
>BDを上映した映画館の外に足を踏み入れた瞬間、そこはやまざきうる星の世界。つまり、”入っちゃった”ということ。
やまざき版には、ビルの谷間とか、都会の雑踏とか、道路の騒音とか、繁華街とか、近代化した現実世界に住むファンの世界がしばしば描かれています。」

上記は、[No.149-8]拙文「私の世界観」(5)の一部分です。
BDを原作者の高橋留美子先生もご覧になったことでしょう。
この作品は、観た人を、「友引町の住民」にしてしまいます。もちろん漫画家もです。
高橋先生は、BDがお嫌いだそうです。その理由はたくさん考えられるのですが、以下は一つの推論です。

まず、うる星やつらの創造主は誰か?もちろん高橋先生です。
しかし、BDを観せることで、原作者よりも大きな創造主がある世界へ、原作者を入れてしまいました。
原作者まで、友引町の住民と化したのです。だからLTFでは、面堂による「住民説明会」のシーンで、観客の中に、高橋先生の姿が鏡のように映っています。
もう「うる星やつら」は、もともとの創造主の手を離れて、もっと大きな創造主によって動くようになってしまいました。
それは漫画家にとっては容認できなかったのではないでしょうか。

BDの夢邪鬼。彼は押井監督の影というのが、大方の見方ですが、
私は夢邪鬼は「同人作家・コミケ」の象徴と考えます。
同人作家・コミケが潜在的に恐れるもの。それは「著作権」でしょう? だから、(C)マークのついた”がしんたれ”(夢を喰うバク)が活動するのを恐がっていました。

BDのラストの、例のキス寸前シーンで、メガネたちが唸っている声に混じっている女性の声。(よーく聞くと判ります。)
これ、誰? しのぶは画面に映っていないし、初期うる星と違って、しのぶは面堂が本命なので、あたるとラムがキスしようとするところに唸ることもないだろう。まさかセンセイの声じゃないでしょうね。

それでは、うる星やつらの本当の原作者はいったい誰になったのでしょう?
私は、「観ている人(つまり、あなた」)」だと思うのです。(BDの風鈴のシーンの後にも出ていましたね。)
なぜなら、今、あなたの目に映っている世界は、自分の脳が、目から入った情報を一旦バラバラにしたのを組みなおして作り上げた「あなたの作品」だからです。

観ている人が出てくる映画を観ている人の現実世界という映画の中に住んでる観ている人が観ている映画という現実の夢を観ている人の現実の映画という夢・・・・・(合わせ鏡、入れ子構造)

続・私の世界観(10)「ときめきの聖夜」と「異次元空間」との対称性 引用
No.149-28 - 2004/12/18 (土) 08:15:35 - よしーま ID:yoSZLe2g
☆「ときめきの聖夜」(19話/”押井うる星”第1話)
ラム「ダーリンはうちが嫌いなの?」
あたる「いや、好きだよ」

☆「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ」(130話/”やまざきうる星”第1話)
ラム「ダーリン、うちのこと、好き?」
あたる「ばぁか、そんな恥ずかしいこと昼間っからいうやつがあるか」

私には、この二つの話の矛盾は感じられません。ラムの質問は逆ですが、あたるが彼女に伝えていることは同じです。

もっとも、130話のあたるの返事に対して、
19話で、あたるは、”昼間っから”「好き」といってるではないか・・・というツッコミは出来ます。
私は、このことについて、以下のように解釈しています。

「ときめきの聖夜」は、「ダーリンはうちが嫌いなの?」と訊かれたから、
「昼間っから」でも、言ったのである。

「あたしのこと嫌いなの?」という女の子の問いに、「そんなこと無いよ」だの
「嫌いじゃないよ」ではダメ。うろたえてもダメである。「いや、好きだよ」が最良の答え。

「嫌い?」ラムが心理的に離れていく。それなら、「いや、好きだよ」とサラッと答えて引きつける。
ここで問題になっているのは、あたるが「組野おと子」とデートするかどうかであって、あたるがラムのことを
好きでいるというのは自明という状態。
「ラムのことが好きなのに、なんであたるは他の女の子とデートするのか」と思う人がいるだろうが、
あたるの言い分は、押井版うる星の中にはっきりと書かれている。
(もっともそれは男性ファンなら理解できても、女性ファンや、女性の原作者には容認できない論理でしょうな)

「好き?」ラムが心理的に近づいてくる。それなら、ああいう風にはぐらかして、先に歩いていくことで、
ラムをリードする。後からラムが追っかけるのですが。
あたるがラムについてどう思っているのかはっきり言う場合は、かならず男性キャラの前だけであって、
ラムがいるところでは、「嫌いなの?」と訊かれない限り言わない。
あたるは好きと「言わない」だけであって、「言えない」訳ではない。

そういうバランスで付き合っている。あたるが、ラムとの距離を微妙にキープしているのである。
他の女なら、飛びついたり、キスしようとしたりするのに、ラムにはそうしない。
なぜか。「本当に好きな女(ひと)」だからですよ。(←わかるかな〜〜)

あたるに「好き」と言わせるのは簡単なんだ。
「うちのこと嫌い?」と直接訊けばいい。
あたるが、ラムのコトを嫌いになるはずがないだろう。

なお、原作34巻「ボーイミーツガール」には、上記の2話と対照的な台詞(※)

ラム「(ダーリンは本当に、うちのこと、嫌いだっちゃ?)」
あたる「(言わなくちゃわからないのか)」

もう一組、
ラム「好きって言うっちゃ〜〜〜!!」
あたる「誰が言うかアホ〜〜〜!!」

(※)「対称」と「対照」は違うことに注意。【重要】

続・私の世界観(9) 因幡篇についてA 引用
No.149-27 - 2004/12/18 (土) 08:13:15 - よしーま ID:yoSZLe2g
実際怪しいと思われるポイントの一つに、あたるが未来の扉のノブをつくって、ラムのいないハーレムが出たことが挙げられます。
その後、「ハーレムなんか作ったって、ラムがいなくちゃ」と言う。
つまり、あたるはラムのいるハーレムを想像したはずだと考えられます。それでラムのいないハーレムが
出てきたすれば、「運命製造管理局」というシステム自体を疑わなくてはならないでしょう。
もう一つは、「ボーイミーツガール」で、作っても作っても黒いノブが出てきて、扉の向こうは真っ暗であると
いう因幡の台詞。これは、地球が必ず闇に覆われる未来を示します。
でもルパは地球人に茸を駆除する豚を貸したので、扉のとうりになりませんでした。

この「運命製造管理局」という組織は、ただの未来予想屋なのではないでしょうか?予想なので、当たることもあれば外れることもある。
実際の未来がそうなるという保障にはなりません。
扉を落下させても、予想を撤回しただけの話。
一方、RMLの「ラムはルウという少年の遠い先祖」は「予想」ではなく、そういう”設定”なのです。(※注)
では、もう一人の男性の先祖はだれか?赤い糸を信じるなら、もう答えは明白です。

(※注:原作「系図」もそうです。しのぶは将来「諸星こける」という名前の男の子を産むという”設定”。
ただ、原作ファンで、あたるvラムが将来結婚すると信じたい人、および因幡vしのぶが将来結婚すると信じたい人なら、
「運命製造管理局」の話が有効である・・・つまり、しのぶとあたるが夫婦になっている未来の扉の落下によって、
「系図」が無効化されたと信じなければなりません。
そのかわり、あたるvラムの結婚式の未来も一緒に無効化されたことを認めなければなりません。)

「『赤い糸』なんか無い」というなら、「『運命製造管理局』なんか無い」と私は返します。
運命を作っているところなんか見えないからです。赤い糸も見えませんけど。
見えないものをあるとか、無いとかいっても、それは神様がいるかいないかの論争と同じで、答えは出ません。
どちらを「選ぶか」の問題です。私はRMLを選ぶ。

因幡篇をアニメ化しても、それはやまざき版とは前提が違う世界のうる星です。
前提が異なる作品を同じグループにしたら混乱するだけです。だから線引き。

私が「TVうる星」派と自称し、TVシリーズとLTFまでの4つの映画を支持している理由は、
そこには「系図」も「因幡」も無いからです。その方が好都合ですもん。あたるvラム派としては。

「運命製造管理局」の局長さんは、やっぱり原作者なんですかね?

続・私の世界観(8) 因幡篇について@ 引用
No.149-26 - 2004/12/18 (土) 08:10:40 - よしーま ID:yoSZLe2g
因幡は完結篇の監督を務めた出崎哲氏の影キャラです。因幡が出てくるOVAのディレクターを務めたのも
この人でした。
しのぶは原作うる星の象徴キャラ、高橋留美子先生の影です。
本当はしのぶのような地味目の女学生がヒロインになるほうが、この漫画家らしい。
因幡はラムには目もくれず、しのぶ一筋です。だから出崎氏は「原作に忠実に」完結篇を作りました。

原作の、因幡がでてくる作品群では、あたるとラムが別れた場合の未来が幾つか提示されていますが、
これをアニメ化したら、RMLとコンフリクトします。
この二人に未来があるとしたら、「ラムがあたるの妻になっている(正式に結婚している)」は外せません。
他の登場人物の組み合わせは、いろんなバリエーションがあってもいいですが、
すべての未来の扉に、二人は別れていないという状態が描かれていなければ、
もうRMLとは別次元の話になります。
「赤い糸」は切れないし、二人に将来というものが仮にあるとしたら、
二人の子孫ルウが存在していることになっているからです。
(「異次元空間〜」で出てくるバリエーションは、「パラレルワールド」であって、未来の話では
ないです。)

さらに、二人が結婚している未来の扉は落下するはずがありません。それでも落下してその未来が否定されたというなら、
「赤い糸は切れない」と矛盾します。
となると考えられるのは、【「運命製造管理局」というシステム自体が怪しいこと】です。

続・私の世界観(7) 「うる星やつら2つ」 引用
No.149-25 - 2004/12/18 (土) 08:07:37 - よしーま ID:yoSZLe2g
私はアニメ版うる星を、以下のように分類しています。

まず、TVシリーズとOVA、LTFと完結篇との間に、それぞれ境界線を引きます。

TVシリーズと、TVのディレクターがそのまま監督を務めたLTFまでの4つの映画をひっくるめて
「TVうる星」(=アニメ版うる星やつら)
OVA、「完結篇」、「いつだってマイダーリン」を
「ビデオうる星」(=アニメ版うる星やつらII ※)と呼んで区別します。
{※「II」というのは、ちょうど原作派の人たちが、BDを観て世界観を崩されたと非難したことに
因んでいます。}

「いつだってマイダーリン」を、こんなのうる星じゃない!!という人は多い。
完結篇や、TVシリーズと同じ声優を起用しているのにも関わらずです。
キャラデザインや、声が同じだと、どうしても同一人物と思うものですが、多くの人が
「いつだって〜」のあたるはあたるじゃない・・・と言う。
その根拠はなにか。キャラクター(性格づけ)の違いでしょう?
性格づけの違いによる境界線引き。実は、TV130話のラムが、同じことをやっているのです。

パラレルワールドの優しいあたる。しかも声は明らかに古川登志夫さん。
ラムはそれでも、「惚れた」とか言われても、このあたるを別物として退けました。
ラムはどこで判断したのか。それはキャラクター(性格づけ)でしょう。ダーリンがあんな歯の浮く台詞を
言うはずがない。
そもそも、あたるという男は、ラムを口説かない。それは当たり前。なんで女房を口説かなきゃいかんのだ。
「惚れた弱みさ」は口説き文句である。
こういうことは、本物のダーリンだったら思ってても言わないはずなので、ラムはこのあたるを別物としたのでしょう。

(このシーンには別の解釈があって、このパラレルあたるが嘘をついているとラムが感じたというもの。たとえ男が女に甘い言葉を発しても
本心からのコトバでなければ、それは嘘と見抜かれてしまうものです。逆に一見素っ気の無い態度でも、本当は好きでいてくれるという
気配が、分かる人には分かるもの。「桜の枝を持っているあたる」の態度と返事から、そう感じたので、
ラムはそのあたるを本物のダーリンと特定した。)

たとえ見た目が同じでも、声が同じでも、違うものは違うと判断する姿勢を、ラムちゃんは身をもって示したのです。
私も、彼女を見習って、違うものは違うと判断させていただく。
「このあたるは、私の知っているあたるではありません。」この判断は、「ボーイミーツガール」に対して私もやったことです。
完結篇のあたるは、ニセモノと本物の区別が出来なかったが。
私にとって、「完結篇」と「いつだってマイダーリン」は、TVうる星に対してパラレルワールドです。

TV130話のパラレルあたるは、ひょっとしたら、完結篇よりずっと後のあたるだったのかもしれません。
ラムは彼にいくつか質問しますが、その答えは、このパラレルあたるが「2度目の鬼ごっこ」を経験していると
しても辻褄が合う。

続・私の世界観(6)129話・130話はアニメ版の頂点 引用
No.149-24 - 2004/12/18 (土) 08:05:21 - よしーま ID:yoSZLe2g
「私はアニメ派です」と表明したとき、どの範囲を示すのか。
たとえば、完結篇に関するレビューを読むと、原作より良かったという評価が散見される。
それなら、この人は、アニメ派なのか。「ときめきの聖夜」や、「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ」はアニメでは無いのか。
完結篇支持の人は、無意識の内に、「ときめきの聖夜」を無視してはいないか。

原作34巻のラムは、「ダーリンは好きって言ってくれたことが無い。」と言う。
これは完結篇では削除されているのか。私がこの映画を敬遠している理由は、この台詞が削除されていなくて、
完結篇がTVうる星の延長線上にある話だとすると、あたるとラムは完結篇で別れたという解が出てしまうと思ったからです。
その結論とは、「好きと言ってくれたことが無い。」というラムは替え玉。つまり、「ときめきの聖夜」のラムとは別人で、
本物のラムは「うちはルパと結婚するっちゃ」と言ったほうのラムになってしまうというもの。
ラムはあたる以外の男と結婚すると言い、あたるは替え玉ラムを最後に抱きしめて終わり。
「雪の中で手をつなぐあたるとラム」「桜並木を背景に腕を組むあたるとラム」の行く末が、
「ボーイミーツガール」(原作34巻)と同じとするのは、この二人の恋愛を愚弄することになるのではないだろうか。

私が監督で、原作どうりに制作するようプロデューサーに要求されたのなら、
完結篇とは銘打たず、単に「ボーイミーツガール」として、
ラムの髪を原作風に虹色にして、メガネは初めから一切出さない。
(メガネがいたら、ラム親衛隊による、ルパからラムを奪回するための工作活動が起こって、ストーリーが変容してしまうからです。)
過去のいろいろな出来事を思い出すという演出があるそうですが、それには原作の絵を使います。

プロデューサーは、「いつだってマイダーリン」をどういうつもりで制作することに決めたか。
パート5の映画を完結篇と銘打ったからには、続編など作るべきでは無いのではないか。

そういうお前、まず完結篇を観てから言え・・・と言われれば実は返すコトバは無いです。だから中身についてはこれ以上何もいわない。
だが、そう反論する前に、TVうる星の二人の次の台詞に耳を傾けたらどうだろう。

☆あたる「おっさんがラムに手を出したら張っ倒そうと思って」【BD】
☆あたる「俺はラムに縛り付けられるのはまっぴら御免だが、ラムを人にとられるのはもっと我慢ならんのだ(あたるの信念)」
【TV129話】
☆ラム「うち、何があってもダーリンと離れないっちゃ。(中略)いつかしのぶが言ってたっちゃ。結ばれている二人は、
赤い糸で・・・・うちとダーリンだって、・・・・うちは、ダーリンの妻だっちゃーーーーー!!!(ラムの信念)」【RML】
☆ラム「(『好き』と明言せず、はぐらかしたダーリンに対して)こんどこそ、本物のダーリンみたいだっちゃ」【TV130話】
129話、130話、BD、RMLのあたるとラムちゃんは、アニメ派の誇りなのです。
主人公は勇敢で男らしく、ヒロインは健気でエレガントでなければ!!

この二人の信念や態度を考慮すれば、原作34巻のアニメ化に疑問を持てないか。
あたるはルパを張り倒したか。ラムをルパの元に置いて茸を食らっていなかったか。
信念とは、何があっても優先される考えです。何があっても!!
この二人は、出会ったばかりの頃は、仲は最悪でした。しかし一緒に住むにつれて、しだいに慣れ、だんだんハマっていった
夫婦なのです。こういうプロセスを経たカップルは、そう簡単には亀裂など生じない。相手の欠点は、お互い知っている上で
連れ添っているからです。
しかも、「電飾魔境」を経験しているなら、なおさら、「ボーイミーツガール」のような展開になるとは思えない。
「電飾魔境」はアニメ化している。「見合いコワし」も、「君去りし後」も。

続・私の世界観(5)ラムは観念=脳の働き 引用
No.149-23 - 2004/12/18 (土) 08:03:16 - よしーま ID:yoSZLe2g
LTFは「ラムの角が消えた」です。「抜けた」のではありません。
(DVDパッケージには「14.ツノのぬけたラム」とプリントされていますが
・・・これは間違いか、意図的なものでしょう。)
もし抜けたのなら、あたるの部屋の床に角が転がっていなければ
なりません。しかし、LTFにはそういうカットはありません。ラムは「モノ」ではないからです。
幽霊の足がスーッと消えて見えなくなるように、ラムが角を”見せなくなった”
あるいはこちらから、”見えなくなった”と考えます。

ラムは鬼族の宇宙人ということになっています。誰も鬼なんかに出会ったことなど無いでしょう。
宇宙人だってそうです。だから、彼女は観念的存在です。幽霊や精霊や、妖精などと同じです。
私は、ラムは、望ちゃんや、小鳥ちゃんと同じ次元の女性と考えます。
ラムは幽霊ではないのですが、鬼とか、宇宙人というのは、想像上の存在です。

原作34巻では、ラムの角が、彼女の身体から「離れて」しまいました。幽霊や、妖精や、精霊のようなものが、
身体性を帯びてしまった。
「幽霊が骨折する」ようなものです。私はついていけなかった。
(テンちゃんの角が落ちたり、コタツ猫のヒゲが切れてパラパラと落下する絵はあるのですが、これらのキャラは
いいです。サブキャラですから。)

しかも、角が抜けるプロセスがいかんともしがたい。ラムが自然に成長して、その過程として
角が抜けるのならまだいい。でも、ゲストキャラによって、強制的に成長させられています。
女性を連れ去るために、女性の体に細工をして無抵抗になったところを狙い撃ちするのには、
ある種の犯罪性を感じざるを得ない。

34巻では、ラムの方を見れば、角は「見えない」のですが、あたるの手に握られているので、
角は「見える」。だから、私は「ボーイミーツガール」についていけません。

一方、押井版オンリーの人にとっては、「ときめきの聖夜」のあの髪型だから角が見えないのであって、
普段のラムの髪型で角を見えなくしているというのが、ついていけないから、LTFが嫌なのかもしれませんね。

見えないから、無いのか。無いのは、見えないからか。
無いから、見えないのか。見えないのは、無いからか。

LTFのラムの角の喪失は、「普通の女の子になる」であり、「ボーイミーツガール」のそれは「大人になる」ですから、
意味づけが微妙に、しかし大きく異なっています。
「大人になる」は、いろんな意味があるコトバです。「ボーイミーツガール」のラムは大人だろうか。

続・私の世界観(4)RMLの見方 引用
No.149-22 - 2004/12/18 (土) 08:01:14 - よしーま ID:yoSZLe2g
ルウはあたるとラムの子孫です。赤い糸で結ばれているから当然です。
赤い糸は切れません。
ラムから伸びる赤い糸は一本だけで、あたると結ばれていたので、ラムが結婚するとしたら、
相手はあたるしかありえないということです。

ならば、ルウがラムの子孫なら、あたるの子孫でもあるということです。単純な話です。

しのぶの台詞は微妙です。「これ(赤い糸伝説)は地球の話だから」ここで言葉が切れているのがミソです。
しのぶが言いたかったのは
1.「赤い糸伝説は、地球人同士の男女間において適用されるの。宇宙人には適用されないわ」かもしれないし、
2. 「私は地球にしか住んでいないので、赤い糸伝説と同様の話が宇宙にもあるかどうかは私にはわからないわ」
かもしれないです。

それで、あたるとラムが赤い糸で結ばれているのであれば、
「地球人同士の男女でなくてはならない」あるいは「宇宙にはこのような伝説は無い」としても、
宇宙人のラムが地球人のあたると赤い糸で結ばれていたのなら、それは「ラムが地球人の女の子(普通の女の子)になる可能性」
を示す。
という意味を引き出せるのではないでしょうか?ラムが普通の女の子になったら糸が切れるなんて誰も言っていない。

二人の子孫に角が無いということは、この二人に将来というものがあるとしたら、考えられるのは次のパターン。

1.ラムが地球人の女の子(普通の女の子)になって、あたるとの間に角の無い地球人の子供を生んだ。
その後、ルウの代でも角は無かった。

2.ラムが鬼族の宇宙人のまま あたるの子を生んだが、角は子供には遺伝しなかった。
その後、ルウの代でも角は無かった

3.ラムが鬼族の宇宙人のまま、あたるの子を産み、子供に角があった。
その子孫が、鬼族の宇宙人よりも優性遺伝子を持つ人と結婚したので、ルウの代では角が無くなった。

4.あたるが鬼族の宇宙人になり、ラムと結婚し、子供が出来た。当然その子にも角があったが、
その子孫が、鬼族の宇宙人よりも優性遺伝子を持つ人と結婚したので、ルウの代では角が無くなった。

私は、1.の未来像が好みです。理由は以下のとうり。
a)これにより、「ときめきの聖夜」とLTFの話が生きてくるから。
b)鬼と人、宇宙人と地球人との結婚、出産というのが、想像つかないから。
c)あたるが、鬼族の宇宙人になるとは、想像つかないから。

ダレや、黄色いリボンを使えばいいなんて言う人は。そういう風だから以下略。

続・私の世界観(2)「ときめきの聖夜」とLTF 引用
No.149-21 - 2004/12/18 (土) 07:58:53 - よしーま ID:yoSZLe2g
押井うる星の原典「ときめきの聖夜」(19・20話)のラストシーン
ここでは、クリスマス・イブに、あたると手をつないで歩いている普通の女の子(見かけ上ですが)のラムが
描かれています。

「ときめきの聖夜」のラストシーン近く(ラムがあたるにマフラーをプレゼントしたシーンの後)、
ラムは角を「見せていない」のですが、一瞬、宙に浮きます。
つまり、あの髪の中には角があるということ。それが「現実」です。
あたるはラムの手を引っぱって、彼女を地上に降ろしてしまいます。
(このあたりに、彼の願望や、ラム観が隠れています。)
その後、手をつないで雪の街中を歩いていくシーンで終りました。クリスマス・イブです。
あれから二人は、まっすぐ家に帰ったんだろうね? もっとも同居(同棲?)しているのですが。

これをちょっと極端にしたのがLTFで、この映画ではラムが本当に普通の女の子になりました。
でも、あたるはそういう状態のラムを直接見ることなく、ラムは失踪してしまいました。
残された日記は、”組野おと子ラム”の置き手紙か。

その後、ラムは戻ってくるのですが、
あたるのもとへ駆け寄るラムには角があります(見えます)。しかし普段着を着て地上を歩いて来ました。

私は、LTFは「あたる」の内宇宙だと考えています。
あたるの心には、ラムに普通の女の子になってもらいたい。そうすれば彼女を抱けるのに・・・
という潜在的な願望と、【「それは夢だ」という現実認識】が混在しているのです。

「♪これ以上は抱けない、あなたもつらい」
「♪遠い同じ夢を胸の奥で燃やせるのに」・・・「メランコリーの軌跡」より。

続・私の世界観(2)TVうる星は巨大なエッシャーの絵 引用
No.149-20 - 2004/12/18 (土) 07:56:35 - よしーま ID:yoSZLe2g
私は、押井版(TV129話までと、映画1、2)と
やまざき版(TV130話以後と、映画3、4)は、エッシャーの絵のように、
対称性をなす世界だと思います。
私の世界観は、「前期・後期の対称性」から、浮かび上がってくる意味を拾い上げるという見方によるものです。

☆押井版は、あたるが主人公の、ラムの内宇宙。その極致がBD。(OYは外宇宙)
やまざき版は、ラムが主人公の、あたるの内宇宙。その極致がLTF。(RMLは外宇宙)
ただし、この仮説からスタートして、考察していくと、いつのまにやら反転する。エッシャー的。

☆LTFのラムの角がないというのは、「ときめきの聖夜」の組野おと子ラムに由来。(角を見せないラム)

☆OYの「ラムのバラード」はあたるを失ったラムの内宇宙、
「君去りし後」の、あたるの彷徨シーン(「心細いな」が流れる)はラムを失ったあたるの内宇宙。

☆RMLではあたるが、「あたるVS面堂軍団」ではラムが、 一時的に相手に関する記憶を失う。

☆BDのラスト近くで、あたるがラムの寝顔を覗きこんで安堵するシーンと、「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ」
(130話)のラスト近くで桜の木の上からダーリンを見下ろす美しい表情のラムが、対称。
いずれも、この人が”本物の”ラム(ダーリン)とした。

☆LTFの作中映画の中の「鬼姫降臨」は、第1話「うわさのラムちゃんだっちゃ」と【対照】。
なにが対照かというと、ラムのコスチュームです。

☆OYの二人の結婚式(あたるが逃げ出した)と【対照】になっているのが、最終話のキスシーン(誓いの接吻)。

続・私の世界観(1)「君去りし後」は217話 引用
No.149-19 - 2004/12/18 (土) 07:54:28 - よしーま ID:yoSZLe2g
また、書きます。なお、私の世界観は、アニメ版のものです。
ひょっとしたら、どこかですでに同様の考察を出している人がいるかもしれません。
もし重複していてもご容赦願いたい。私は同人誌の類は一冊も持っていません。

次の3項目は、私がこの作品を観るとき・考察するときに持っている前提です。
(実は作品に前提があるのではなく、観ている方に前提があるのです。)

1.「君去りし後」は217話
2.「あたるvラム」の基本は「ときめきの聖夜」と「君去りし後」である。鬼ごっこは、出会いのきっかけに過ぎない。
3.押井版とやまざき版は、シンメトリー(対称性)をなす。

1.の前提を考えた理由は、「君去りし後」の後にOYが劇場公開されたからです。
OYの冒頭部分では、あたるがラムに対してかなり邪険な態度を取っていました。これがTVシリーズで
「君去りし後」が放送された後だったので、愕然としたリアルタイム世代の人も多かったと思います。
そこで、「君去りし後」は67話ではなく、視聴者の投票によって選ばれて特別に再放送された217話が
あるべき位置だったと考えます。

2.の前提を考えた理由は、うる星の最終回は、
☆ラムがなんらかの理由で星に帰らなくてはならなくなり、あたると永遠のお別れをする。
☆ラムが普通の女の子になって、あたると結ばれる。
この二つのパターンしかないと考えられ、それをギリギリまで表現して、そうならないということを伝えた作品が、
「君去りし後」と「ときめきの聖夜」と思うからです。

結果論その2 引用
No.149-18 - 2004/06/02 (水) 00:28:09 - 留美子先生と同世代 ID:NKSkzJnw
よしーまさんのおっしゃる通りだと思います。
あくまでも結果論です。
アニメも原作もすべて鑑賞し終えた時点での話しですね。
まさか,何年も連載しているのに,
一度も「好きだ」とは言わなかったとは誰も思わないでしょうに(笑)。
それと,私自身,20年前と今とではずいぶんうる☆に対する評価も変わっていますしね。
当時は,アニメであたるがラムちゃんにやさしそーな態度をとると,喜んだもんです。
いまや,あたるみたいな息子がいるんですもんな。
あー生まなきゃよかった...

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